○武尊神社で旧暦9月の中の「申の日」に行なわれる。
○猿による農作物への害を防ぐことを願ったことに由来する。
○祭中に交互に声を掛け合って赤飯を投げあい、後に白装束の猿が登場し、「サカバン」と「ヒツバン」が追いかけて拝殿に猿が逃げ込み、祭が終了となる。 |
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解説文: 片品村は、群馬県の東北端に位置し、北は新潟県、福島県、東は栃木県に接している。花咲は片品村の南西端にある大字で、鍛冶屋、山崎、登戸【のぼつと】、栃久保【とちくぼ】、栗生【くりう】、針山の六つの集落からなる。武尊山【ほたか】と赤倉山の山麓にある懐の深い山村である。戦前には炭焼きなどの山林業も盛んであった畑作優越地帯である。
片品村花咲に鎮座する武尊神社は日本武尊を祭神として祀っている。ここで毎年旧暦九月の中の申の日に猿追い祭が行われる。この猿追い祭は、花咲を東西に分けて行われ、東日本には数少ない宮座組織を有する祭りとして、また幣束を持つ猿役が登場する祭りとして知られている。この祭りには花咲の六つの集落が参加するが、針山と栗生は客分という立場で参加している。
祭りにはサカバン、ヒツバンと呼ばれる当番がある。サカバンとヒツバンは、各集落の各組からそれぞれまわり番で選ばれ、各組を代表して祭りに参加する。その選び方は組によって異なっているが、サカバンとヒツバンを別々に一年交代のまわり番でつとめる組が多い。サカバンは甘酒を作り、ヒツバンは赤飯を作る。その材料は、以前は組内の各家から集めていたが、現在では番に当たった家が自分の家で米や小豆を用意して作っている組が多い。登戸上組では現在でもヒツゴメとして糯米【もちごめ】を各家から茶碗に一杯ずつ集めている。祭りの日、各集落のサカバンは甘酒を一升瓶に詰め、ヒツバンはお櫃に赤飯を入れ、風呂敷に包んで神社に持って行き、七十数基ある石祠にそれぞれ供える。赤飯は半紙などに包んでゴフウとして参詣者にも配り、甘酒も同様に参詣者にふるまう。残った赤飯は、赤飯を投げ合う行事のためにとっておく。
祭りは神事に続き、お櫃を包んできた風呂敷でほおかぶりをした、東の鍛冶屋と山崎、西の栃久保と登戸それぞれのヒツバンが、拝殿の前に一列に向き合って並び、杓文字で赤飯を投げ合う行事が始まる。まず、東がエッチョと赤飯を投げると、次には西がモッチョといいながら、交互に赤飯がなくなるまで繰り返す。
赤飯投げが済むと、ヒツバン、サカバンたちは、中央に土間があって二つに分かれている割り拝殿と呼ばれる拝殿に上がり、東と西の座に分かれて座る。向かって右が東、左が西になる。この座はザシキと呼ばれ、東のザシキには鍛冶屋、山崎、西のザシキには登戸、栃久保、栗生、針山のそれぞれサカバン、ヒツバン、氏子総代、客人が座る。現在ではそれぞれテーブルを中心に丸く座り、座順もあまり意識しないで座っているが、このザシキの座順は、以前には厳格に守られていた。
東と西にそれぞれ客人のジュウニザシキがあり、ここには客人のみが、集落順に、さらにイッケ順に並んで座った。東は西向きに、後鍛冶屋横丁組(星野イッケ)、後鍛冶屋前組(上組)の星野イッケ、前鍛冶屋組(星野イッケ)、山崎下組(星野イッケ)、山崎中組(星野イッケ)、山崎上組(井上・高山イッケ)、西は南向きに、栃久保(二つの佐藤イッケと戸丸イッケ)、登戸(藤井イッケ、戸丸イッケ、星野イッケ)の順に座った。以上の一二のイッケからそれぞれ二人ずつ客人が選ばれ、客人全員が着座しないと祭りが始まらないといわれていた。
このジュウニザシキについては、花咲へ定住した順にザシキが決められたともいわれている。このようなザシキの決まりは、現在ではくずれてきており、客人もイッケの代表ではなく、招待された議員や各種団体役員をさすようになっている。
参加者全員がザシキに座ると、東ザシキと西ザシキの人が交互に挨拶をかわし謡が始まる。東からうたい始め、ついで西がうたう形でうたい、一曲うたう間に酒を一升飲むといい、時間がかかるものである。最後の「千秋楽」が始まるとすぐに、本殿の奥に潜んでいた白装束の猿役が、三角に折った半紙を神主にくわえさせてもらい、大きな幣束を手渡されて外へ駆け出し、社殿を右回りに三回まわる。猿が駆け出すと、東西のヒツバン、サカバンも猿を追って外へ駆け出し、無言で一緒に走るが、このとき猿を追い越すと「その年は陽気が悪い」、つまり不作になるといわれ、猿を追い越すことは絶対にしない。
この猿の役をつとめられるのは、東ザシキの鍛冶屋と山崎の福泉寺組の星野姓の家だけに限られている。これは現在も守られており、猿の役は鍛冶屋、山崎という二つの集落に住んでいることと、星野姓の家であるという二つの要件が満たされなければつとめられないことになっている。つとめる番は、鍛冶屋の横丁組、上組、下組、山崎の福泉寺組の順にそれぞれ一年ずつつとめることになっており、当番に当たった組のサカバンが猿に扮する。猿が走ることを「猿が飛ぶ」といい、なるべく若い人が扮することになっている。
国重要文化財データベースより
その昔、武尊山の白い猿が作物を荒らし害を与えたので、神にすがって猿を追う行事が始まったという。毎年、旧暦9月中の申の日、花咲地区の酒番と櫃番が持 参した酒と赤飯を社に供えた後、宮の前で東西に分かれ、互いに「エッチョウ」「モッチョウ」のかけ声で赤飯を投げ合う。かけ声には永く栄えようとの祈りが 込められている。酒を酌み交わした後、氏子が扮する白猿が宮を3周するが、追う者たちは決して猿を追い越してはいけない決まりがあり、勢い余って猿を追い 越すと農作物は不作になるという。
片品村ホームページより
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