寛永11(1634)年、領内の安泰を祈願して真田河内守信吉に鋳造されながらも城の破却などで浮沈の運命をたどった「城鐘」を保護しようと、明治20(1887)年旧沼田町役場敷地内に建てられたのが「鐘楼」。
昭和39(1964)年、市庁舎改築で取り壊されるまで、市民には「時鐘(ときのかね)」として親しまれ、昭和58(1983)年沼田公園内に復元されました。
※「城鐘」は、昭和29(1954)年3月30日、県の重要文化財として指定を受けています。
寛永11年(1634)に沼田藩主、真田信吉が沼田で鋳造させた鐘。沼田城三の丸に懸けられていた。
昭和58年に鐘楼が建設され、最上階に懸けられた。
寛永十一年(1634)に沼田藩二代藩主真田信吉が、沼田で鋳造させ、沼田城三の丸の楼に掛けて時報を鳴らした。「この鐘の音は領内領民を安らかにし、領主の長久を祈るもの・・・」という意味の文が刻まれている。天和元年(1681)に真田氏が改易となったため、平等寺の梵鐘となる。その後、明治三十一年(1898)頃から沼田町の時鍾となった。平等寺の梵鐘となった由緒も刻まれている。
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